ありがとう、銭湯



 ありがとう、銭湯  青木紀美子


 私は幼い頃から毎日銭湯に通っている。

 昨年の冬頃から私は精神的なものから食事がノドを通らなくなっていった。そしてその状態が2ヶ月程続き、学校も休むようになった。体もどんどん細くなっていき骨と皮に近い状態になっていった。その頃は何をやるにも気が起こらないし、笑ったりすることさえも疲れるから拒むようになった。そんな私にとって銭湯に行くことだけは別物だった。

 風呂に入ることはエネルギー消費になるから疲れるはずなのだけど毎日、夜8時から行くこの日課だけは私にとって唯一の生きがいだったからだ。細い身体をしているため周囲の人は「大丈夫なの?」という目で私を見るから母は複雑な気持ちだっただろう。

 この時期、自分は沢山の人に迷惑をかけているから生きていても仕方ないと思い何度も死のうと思った。でも死のうという気持ちを止めることができたのは、毎日母と約束している銭湯に行くという日課があったからだろう。朝起きた時、生きていくのがつらいと思っても夜8時の約束があるから願張らなきゃって思ったのです。
 
 銭湯は私の唯一の人とのふれあいの場でした。入る時の番台のおじちゃん、おばちゃんは私に優しく「いらっしゃい、ありがとう」と声をかけてくれた。客のおばあちゃんは私のこと心配してくれた。そんな人達にも私は救われたのだろう。

 そんな私もしばらくしてついに入院した。入院し食事もノドを通るようになり元気になってきたころ、やっばり銭湯に行きたくて看護婦さんに内緒で病室を抜け出し行ったこともあった。

 この間、久し振りにある銭湯へ行ったら、おばさんに、「少し丸くなったんじゃない」と言われた。その時私は人にはそれぞれいろんな事情があるけど裸の付き合いっていいなって思った。私がもし母と銭湯に行っていなくて家族風呂に一人で入っていたとしたら、私の身体の変化に気づく人はいなかっただろうから。

 私は今、とっても元気になった。それは銭湯の存在のおかげでもある。今でも母と私は前と同じように銭湯に通っている。そしてこれからもずっとこの町にいる限り、通い続け、人の優しさにふれていくことだろう。